みょん【風】天狗はXXだよ説

 最初なので、そこそこメジャーなネタから入ろうかと思います。卒論のテーマが山岳信仰文化だからちょうど良いじゃん、というだけでもあります。単に私が最初にプレイした東方が文花帖だったので、最初は天狗に触れたかったというだけでもあります。しかしながら文は初出の花では別に天狗というよりパパラッチでしたので、一応天狗っぽい風の方に分類しました。あれ?

 さて、よく言われる天狗は赤ら顔で鼻が高く、修験者の格好をしています。あと葉うちわ。日本の天狗についてはもう思いっきり山伏が元ネタじゃん的な雰囲気が出てますが、あえてそこを掘り下げてみようと思います。中国やその更に前の天狗には触れてませんので、これで堀り下がってるかはさておき。

 1. 天狗は山神だよ説
 2. 天狗は山伏だよ説
 3. 天狗は山伏のお供だよ説
 4. 天狗は先住民だよ節
 5. 天狗は外国人だよ説
 6. 天狗をまとめて

現世斬


みょん1. 天狗は山神だよ説

 これは割とメジャーな説かと思います。

 天狗は山の神様としてしばしば信仰されてますが、どうやらその起源はけっこう古く、少なくとも仏さんが山の化身だということになる前には存在していたそうです。奈良時代とか平安時代とかその辺でしょうか。
 例えば、どこの山かは忘れましたけど、ある山では仏を本堂に祭っておきながら、山の奥の方にはそれとは別に天狗を祭ってあるのです。山に仏教が本格的に入ってきても、元からあった天狗への信仰を捨てられなかったわけです。

 というのも、山は生活の恵みであったと同時に非日常的な存在です。道に迷うわ獣は出まくるわ土砂崩れ起こすわ死んだ人が行くわと、荒々しい側面もありました。日本の神様はたいてい恵みをくれる側面と荒々しい側面とが同居してますが、まさに山なんてその典型だと思います。
 やっぱり地元の人としては、うち捨てたら祟られるかもしれなかったのが怖かったんですかね。それで、風神録でいう神奈子様と諏訪子様の関係みたいな感じで、天狗も仏さんと一緒に残ったんじゃないか、という気がします。

 で、中国から入ってきた天狗という妖怪が山の神様の荒々しい側面に当てはめられた、ということなんでしょう。当時は人間が神様になるなんて当たり前でしたし(死んだあと的な意味で)、妖怪が神様になっても別におかしくありませんよねえ、うん。

現世斬


みょん2. 天狗は山伏だよ説

 これもけっこうメジャーな説です。

 天狗といえば山の中にいる怪しい大男みたいなイメージですから、ちょうど狩人とか山伏とかがそれにあたります。ちょうど当時、狩人は何か呪術的なことも兼任しており(例えば巫女を妻にするのが伝統だったりとか)、また山伏といえば超能力者だとも言われてました(非日常である山に住んでるんですから、そう思われても無理はありません)。俗に天狗が山伏の格好をしているのも、この辺が理由なんじゃないでしょうか。

 天狗の伝承はそこかしこに残っており、天狗を祭っている山もやったら多いのですが、ここでは神奈川県の小田原の方の大雄山を例に見てみたいと思います。

 ここには曹洞宗のお寺である最乗寺があり、別に修験道っぽいわけでもない低山(山頂まで車が入れるくらい。それでいいのか)ですが、開山に道了という修験者が関わっています。曹洞宗の山に修験者が関わってるのは割とよくある話だそうですが、理由はよく知りません。なんでだろう。
 さて、この道了さんは近畿の方で力のある修験者だったらしいのですが、大雄山に呼ばれてからは、かいつまんで言えば鬼を追い払ったり空を飛んだり巨大な鐘をかついできたりと、八面六臂なのかやりたい放題なのかよくわからない活躍ぶりだったのですが、最後は天狗になって空に飛んでったそうです。怒られるくらいかいつまみすぎです。苦情きそう。
 そんなわけで、この山にはなぜか鳥居っぽいものがある建物が一番奥にあり、そこでは柏手を打っても良いという神道的なお参りが共存しているのです(道了さん=十一面観音ということになってますが、これは仏教の体面を保つなんためじゃないでしょうか、といったらまた怒られますか)
 これが本当かどうかはさておくとしても、超能力者としての山伏=天狗という構図が見られるようです。まあ、超能力なんて使ってたらそりゃもう信仰されるでしょうから、神仏を祀る側がむしろ信仰されちゃうのもうなずけます。現人神です。いや仏か。
 というわけで、道了さん≒早苗さんという解釈でよろしいか(よくない)

 また、その近くの箱根なんかにもそれっぽい歴史があります。
『じつは箱根のことは、どれだけ調べても尽きないくらい問題があるのです。ここはじつは神様の名前がない。ただ女体、俗体、法体という。廃仏毀釈のあとで、瓊々杵尊、彦火火出見尊、木花之開耶姫尊、と名前をつけただけです』
(五来重『山の宗教』角川書店,1991年12月,p131)
 確か神様に名前をつけ始めたのはだいたい地元の人ではないそうで(たしか神に逐一名前をつけるのを柳田国男が批判してたような)、こういうのは別によくある話だとは思います。
 それよりも、同書によれば山の神様は女性なので女体、それを祀る狩人は俗体、修験道が始まるとお坊さんが加わって法体、というのが修験道の解釈なんだそうです。狩人や山伏も神様のくくりに入ってたんですね。

 箱根の温泉いいね。真っ黒な温泉卵を高額で売ってたのには驚きましたが。観光地やべえ。

現世斬


みょん3. 天狗は山伏のお供だよ説

 上記の通り天狗は赤ら顔で鼻が高いものでしたが、どうやら必ずしもそうでもなかったという記述が同書にあります。

『「飛行夜叉」というのは、おそらく天狗であろうと思います。夜叉というのはインドの恐ろしい神ということですが、日本へきますと天狗です。(中略)実は平安時代までは天狗というのは鼻が高くはなかった。要するに天狗というのは童子というものです。童子ということは、修験道の方からいえることですが、山伏のお供をするもの、のちに普通のお坊さんでも、身の回りの世話をする人のことを童子といいますが、かなり年取った童子もおるわけです。』
(五来重『山の宗教』角川書店,1991年12月,p37)

 こちらは何年か前に世界遺産になった熊野の十二権現について書かれたうちの一節ですが、山伏が山から出ずに修行を続けるために食料とかを運んでいたのが童子だということです。山伏以外の人からすれば「山伏ってのはどうやって山から出ずに生きてられてんだ」ということになり、「超能力で鉢を飛ばして米を取ってきてんじゃね?」なんていう噂が立ち(山伏といえば超能力者だと言われてましたし)、それに尾ひれがついたのだということだそうです。

 要はただの童子さんなのですから、鼻が高いわけもなかったのです。ただ、この一節からだけだと正直よくわかりません。

 鼻高くない文ちゃんかわいいよ! 平安時代の人はわかってるね!

現世斬


みょん4. 天狗は先住民だよ説

 これはさすがにけっこう私の妄想です。

 山神社とか山祇神社(だったっけ)とかいう神社が一部にかたまって分布してますが、これは山を祀る神社であり、主な信仰者は日本の先住民族(アイヌ人とか。そういやアイヌ語って本州にも名残がありますねえ)だったそうです。山の方に多く分布しているそうですが、なぜか千葉県の房総半島南部にもあります。追いやられちゃったんですかね。
 さて、先住民といえばあとから大陸から入ってきた弥生顔な人種と比べて顔の彫りが深く、狩猟民族だけあって手足が長く体型も屈強なため、土蜘蛛なんて呼ばれたりもしてたそうです。しかし、これは天狗の鼻の高さや顔の赤さ、山にいるという特徴などと一致するように思えます。
 『山にいるなんかよくわかんない人』をあとから来た人が恐れるあまり、天狗のような伝承が出てきたのではないか、とも思えます。

 ただ、日本の先住民族にはお酒を造る技術がなく、またアルコール分解酵素にかかわる遺伝子も保有していなかったそうです。つまり、天狗は実は酒に弱いということになってしまいます。今の人間が飲み比べしても勝てそうです。
 まあ、このへんはあとから入ってきた酒飲み民族の「あいつら体でかいから酒も強いんじゃん?」的な思い込みが発揮されたんじゃないか、ということでどうにか。

現世斬


みょん5. 天狗は外国人だよ説

 これは人から聞いた妄想です。

 先にインドの飛行夜叉は天狗だとか、天狗は鼻が高くて肌が赤い先住民がモデルだ、ということを書きましたが、じゃあ天狗は日本に来たインド人じゃないか、ということを父が突然言い出しました。いきなり何を。
 当時、日本よりもよっぽど進んでいたインドの人が日本に来れば、なんか凄いことできる異人さんすげえ、ということで天狗になった、ということだそうです。ほんとかなあ。
 また、天狗が日本に入ってきた頃には、インド人が日本に来るだけの航海技術を持っていたんじゃないか、とも。全く裏のとれてない話です。

 あと、東京都の御嶽山で行者さん(っぽい人)に聞いたのですが、日本人とユダヤ人にはけっこう共通点があるそうです。五芒星を使ってたとことか。
 それじゃユダヤ人も鼻高いじゃん、ということでこちらも天狗のモデルとなった可能性があります。いやそもそも日本人とユダヤ人ってほんとにそんな関係あるんですかね。そういうの最近たまに聞きますけど、あんまり信用できないというか、大して夢のある話でもないというか。

現世斬


みょん6. 天狗をまとめて

 総合してみると、少なくとも日本の天狗は妖怪なのに山の神様で、そのモデルは超能力者っぽい人間だったんじゃないか、ということになりそうな気がします。

 もはや天狗はただの妖怪として片付けるにはずいぶん有力であり、神主が文を特別扱いするのも納得できるものがあります。
 でも、日本の昔話には山伏が鬼退治する話がしばしば出てきますし、これじゃ天狗が鬼退治してることになっちゃうんですけど、いいんですかねえ? 鬼の方はただ遊んでただけだった、という萃夢想中の記述を鵜呑みにすれば、それもまたありなんでしょうか?
 とりあえず地霊殿によると「妖怪です!退治しましょう!であえ、であえ」ということで。

 何にしても温泉とお酒の両方に触れられたので満足しました。
 温泉いいね。

2009/6/26